蜷川幸雄の死はかなり大きく取り上げられています。
世界のNINAGAWAとか。
まあ、日本人は世界という言葉が好きだから。
東京オリンピックが決まった時の総合プロデューサーの候補にも挙げられていました。その際本人が「もう齢だから、それまで生きていられるかも分からない。だから引き受けるのは無理」というような趣旨のコメントを出していましたが、その通りになってしまいました。
蜷川幸雄の熱心なファンというわけではありませんでしたが、いくつかの芝居は観ていてその演出には感服していました。
小劇場は別として、演出家の名前でお客さんを呼べるというのは彼が最初ではないでしょうか。その前に菊田一夫という人がいましたが、劇作家も兼ねていました。
あまりこの辺の話をしても興味がないかもしれませんね。
お許しを願って、少しばかり昔語りです。
私が蜷川演出の芝居を最初に観たのは確か「にごり江」で、劇場は日生劇場です。
もっともこの芝居を観に行ったのは、蜷川演出だからというわけではなく、浅丘ルリ子が主演だったからです。
調べてみると浅丘ルリコにとって「にごり江」は最初の舞台からだいぶ時間が空いての舞台だったようです。
最初の舞台も好評だったようですが、もともと舞台に立ちたいという気はなく、
一度で打ち止めにするつもりのところ、蜷川幸雄の再三のラブコールで応諾したみたいです。その点では彼に感謝です(笑)
最初の舞台も蜷川演出の「ノートルダム・ド・パリ」です。
そんなわけで当時のプログラムを探してみました。
ありました!↓ 観劇日は1984年1月28日。
そして、お目当ての「浅丘ルリコ」
「にごり江」という芝居はちょっと複雑な構成になっていて、
久保田万太郎が新派のために書いた一葉物の「おりき」「十三夜」などの脚本をもとに新たに堀井康明が「わかれ道」「たけくらべ」の登場人物をも加えて一つの劇にまとめたものです。
4つの劇が一つ舞台で同時進行するわけですが違和感はなく、この芝居の成功は脚本の力も大きいと思いました。
改めてプログラムを見直してみると、懐かしい名前がならんでいます。
資料的な意味で記載すると、
「にごりえ」のパート
菊の井のおりき;浅丘ルリコ
結城朝之助;横内正、源七;財津一郎
「十三夜」のパート
おせき;三田和代
高坂録之助;近藤正臣
幕が開くと坂道と家々そして正面に巨大な月、これだけで観客は引き込まれます。
やがて菊の井が舞台となり、おりきの啖呵では浅丘ルリ子の口跡の良さが際立ち、
十三夜では耐えて耐えて忍ぶおせき、三田和代の清絶な美しさ。
これだけで充分でした。
蜷川幸雄というとケレン味の演出という思い込みがありましたが、見事にそれを裏切った純粋なせりふ劇。
これこそが芝居という感動を味あわせてくれました。
ついでに他の芝居のプログラムも掲載しておきます。
1983年8月2日-9月27日 帝国劇場
脚本:秋元松代(近松門左衛門作品より)
音楽:猪俣公章 作詞:秋元松代 唱:森進一
出演:平幹二郎、太地喜和子、菅野忠彦、市原悦子、嵐徳三郎
1986年12月3日-28日 帝国劇場
原作:泉鏡花 脚本:堀井康明(貧民倶楽部・黒百合・照葉狂言より)
音楽:宇崎竜童 作詞:阿木耀子 唄:沢田研二
出演:浅丘ルリ子、沢田研二
合掌 蜷川幸雄
追記
この記事を書いて浅丘ルリ子と三田和代が今どうしているかなと思って、ネットで検索してみた。
浅丘ルリ子は見当たりませんでしたが、
三田和代はなんと、「頭痛肩こり樋口一葉」(井上ひさし作)に出演しているのですね。不思議な偶然です。
この芝居は昔違う出演者で二度ほど見ていますが、井上ひさしの傑作群のなかに間違いなく入ります!
機会があれば、ぜひご覧になってください。
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